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シティ・オブ・ゴッド(City of God)



ブラインドネス(記事参照)』の流れでフェルナンド・メイレレス監督作品『シティ・オブ・ゴッド』を取り上げる。

本作の評価は観る人によってまっぷたつに分かれると思う。「案外好きかも」とか「なんとなく嫌い」という人はあまりいないような気がする。映画好きのなかにも賛否いろいろあるようだ。

子供の暴力描写には生理的な問題もあって、『キック・アス(記事参照)』もアメリカでは指定映画だし上映館が広がらない理由もそこにあるという。『シティ・オブ・ゴッド』はさらに批判的な見方をする人が多い。それほど本作の暴力描写は凄まじい。

しかし批判の主旨が「映画の出来は素晴らしいけど、貧困という題材をエンタメ化してしまっていいのか?」とか「暴力・貧困に対する批判的な視線が描かれてない」というものが結構多いのには驚く。一体何を観たのか!?と。

本作は貧困の根源的理由を追求するドキュメンタリーじゃないし、貧しい子供たちを取り巻くマフィアの存在を糾弾するものでもない。まして「それでも生きていかなければならない子供たちの悲惨な現状」に心を痛める映画でもない。『シティ・オブ・ゴッド』は「どんな状況にあっても生きることの素晴らしさを求め続ける若者のロマンティックな痛快青春群像劇」なのだ。

制作当時、フェルナンド・メイレレス監督だけじゃなくブラジル大統領までが「これを観て少しでもスラムの現実を知って欲しい」という主旨の発言をしていたが、そんなものに惑わされてはいけない。大統領が本気で状況の改善に当たっていたとはとうてい思えない。でも監督らの表向きの発言はどうあれ結果的に出来上がった作品は、最高にクールで最大限に郷愁的で極上のポップ感に溢れた第一級の娯楽作品だったのだから、それがすべてである。

『シティ・オブ・ゴッド』とは、リオデジャネイロ郊外に実在した「神の街」と呼ばれる貧民街(ファベーラ)のことである。物語はそこで暮らす子供たちの日常を描きながら進行する。キャストがほとんどホンモノのスラムの子供たちで、ロケも実際のスラム街で行われたという、まさしくリアル・オブ・リアルな映像は、始めからとんでもなくエネルギッシュ!だ。

冒頭のリトル・ゼとブスカペがメインストリートで対峙するシークエンスは傑出したオープニングといっていい。CM出身だったフェルナンド・メイレレス監督のテンションの高い演出とカメラワークに、いきなりドドドーっと体を持っていかれる。あとはラストまで、ただただ完成度の高いエピソードの積み重ねに酔いしれるだけだ。独立したエピソードがわずかに位相をずらしながら重なっていき、最後に見事な一枚絵に完成する様は息を飲む思いがする。

編集も秀逸で、ブラジルの陽光が照りつける悪ガキトリオ編のセピア調の暖かい映像が、終盤に向かって徐々に彩度を落としたタイトな印象に移り変わっていくのが、物語の進行と絶妙にマッチしている。また音楽も効果的で、要所で鳴るラテン音楽やR&B(というよりソウル!)が悲惨な話を優しく、そして時に残酷に際立たせている。

さて、多くの人が批判するように、本作からは貧困と犯罪というテーマが「排除すべき悪」としては届いてこない作りになっている。銃の扱いなんて、まるで友達の頭を軽くこづく程度に描かれている。彼らにとって銃を撃つことは拳で殴るより軽いことのようだ。そこに制作者の批判的視点はない。なぜなら本作のテーマは子供が暴力に”巻き込まれていく”恐ろしさを描いているわけではないからある。極論すれば『シティ・オブ・ゴッド』は徹底して子供の世界を描いた作品なのだ。

いつの世も貧困と抑圧を弱者に強いるのは、政治や経済を握ってる特権階級の大人たちである。そういう対抗しきれない理不尽な力に抑圧される子供たちの姿に我々は同情や悲しみを感じるのだ。しかしこの映画には敵としての大人が全然出てこない。抗争はあっても政争はなく、掟はあっても法律は機能しない。彼らを突き動かしてるのは純粋な欲望とフラストレーションだけだ。警察の腐敗も政治の空白も、そんなことは生まれたときから当然のごとく存在してるわけで、彼らの怒りの矛先は直接そこへは向かわない。敵は常に目の前にいる。持ってるヤツから盗む、逆らうヤツは殺す、ただそれだけ。

近所の悪ガキ共が石コロの代わりにピストルをぶっ放し、ケーキの代わりに麻薬を取り合いしてるだけで、貧困を生みだしている自国の複雑な事情なんか糞食らえ! だから物語は閉じていて大袈裟な話には発展しようがない。しかしそのおかげで「命をかけて生きる(というのもヘンだけど)」若者や子供たちの強烈な生き様が凝縮されている。

しかし、そもそもこの映画の役目は貧困の現実をリアルに伝えることなのだろうか? 彼らに絡みつく貧困の悲しさが理解できない人間なんていない。だからといってそれを評価の軸にしてしまっては、逆に現実を矮小化してしまうことにならないだろうか? 『シティ・オブ・ゴッド』は貧困に対するメッセージ性が薄いというけれど、貧困を根本的になんとかしようと思うなら、貧困の悲惨な現場だけをいくらリポートしたってなんの足しにもならない。だって貧困の原因が貧困層にあるわけじゃないんだから。

逆に悲惨な状況にあっても、命を削りながら精一杯青春を爆発させて生きる若者たちがいることを伝えることこそ重要じゃないだろうか。世界のさまざまな国の若者となんら代わることなく、笑い、泣き、恋をし、傷つき、自分の将来を夢見る若者達が神の街で必死に生きてることがどれだけ素晴らしく、そしてどれだけ悲しいか。だから「こいつらをこんなところに追い込んだのは誰なんだ?」と気付く引き金にさえなっていれば、『シティ・オブ・ゴッド』は役目をまっとうしてると思うのだ。

モノローグの語り手であるブスカペは、身近に起こる暴力や貧困に対して批判的な視線を表さない。ブスカペの視線は終始一貫して自分の内面に向いている。スクープ写真を撮ることだって、それでなにかを自発的に告発しようという行為ではない。ブスカペにとって神の街は神の街だ。親も兄弟も友達も初恋の彼女もみんなここで暮らしている。『シティ・オブ・ゴッド』は、ただそこにあるのだ。ブスカペは『シティ・オブ・ゴッド』の内側に存在する風景の中で育ち、学校に通い、恋をし、生き抜いてきたのだ。そしてそれはここに暮らす全ての人にとって逃れられない現実だ。ただちょっとした運の違いがそれぞれの人生を分岐させていくだけ…。

神の街でリトル・ダイスはリトル・ゼになり、心優しきベネは幸せの手前で力尽き、誠実な二枚目マネは自分と同じ境遇の子供に復讐される。そんなエピソードが織りなす運命の気まぐれに、ついホロリと涙を流してしまう。

<Raiting>
いやいや、超長くなってしまったが、それだけ本作には思い入れがあるということで。。。映画好きで未見の方は必見!!!
・実話がベース
・1年間リハーサルを繰り返した
・子供達の生の会話を脚本に生かした
・実は今も抗争が延々続いている
・マフィアの良い人(?)がロケ地を提供した
・出演した子供達の何人かは刑務所で暮らしてる
・出演した子供達の何人かはすでに死んでる


<Trailer>


あー
テーマ:DVDマニア
シティ・オブ・ゴッド@ぴあ映画生活


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